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อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。
อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、「悪人」とは、悪を行うことを好む性質をもち、心が良くないことに慣れ親しんでいる人を意味します。この格言は、悪は悪人にとってなしやすいものであると教えています。つまり、心が悪に慣れてしまった人にとって、悪を行うことは少しも難しいことではなく、ためらいもなく、恥じることもなく、罪悪感も覚えずに行ってしまうのです。この仏陀の言葉は、「善は善人にとってなしやすく、善は悪人にとってなしがたい。悪は悪人にとってなしやすく、悪は聖者にとってなしがたい」と説かれた偈の中にあります。
ขยายความบทตั้ง悪人が悪をなしやすいのは、慣れのためです。水がいつも同じ溝に沿って流れるように、悪を行ったことのある心も、悪へと流れやすいのです。悪を行えば行うほど、悪を恥じる心と悪を恐れる心はますます薄れ、ついには悪が良くないものであることさえ見えなくなってしまいます。反対に、心を清らかに保っている善人は、悪を行うことを難しいと感じます。慚愧(ヒリ・オッタッパ)が押しとどめてくれるからです。ですから、善と悪は心の訓練の問題であり、どちらの方向に訓練しても、その方向に熟達するのです。
ประโยคสะพาน + ที่มา ๑真実を守らず、嘘をつくことが習慣になっている人は、どんな悪でもなしかねません。善を守る最も大切な支えを、すでに捨ててしまっているからです。これは、『小部・法句経』に説かれる仏陀の言葉の趣旨にかなっています。
อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、「偽り(ムサー)」とは、うそ、すなわち他人をだますために真実と異なることを語ることを意味します。この格言は、偽りを語ることが習慣になっている人には、なさない悪は一つもないと教えています。すなわち、真実を守らない人は、あらゆる悪を行いかねません。その人は、善を支える最も大切な保証をすでに捨ててしまっているからです。
อธิบายบทเชื่อม ๑『ダンマパダ』の中で仏陀は、ただ一つの法である真実を踏み越え、ふだんから偽りを語り、来世を顧みない人には、なさない悪はないと説かれました。その理由は、うそがあらゆる悪を覆い隠す道具だからです。過ちを犯してもうそをつくことを恐れない人は、自分の過ちを隠せると思い、次々と過ちを重ねていきます。一方、真実を守る人は、過ちを犯したときにはそれを認めるので、過ちが積み重なることはありません。ですから真実は、あらゆる悪をせき止める門のようなものです。この門が壊れてしまえば、ほかの悪も簡単に流れ込んでくるのです。
ตัวอย่างในชีวิต実際の生活では、嘘をつくことが習慣になった人は、罪悪感もなく、すらすらと作り話をすることができます。一方、いつも本当のことを話す人は、嘘をつこうとしても心苦しく感じます。初めて不正を働いた人は手が震えるかもしれませんが、二度目以降はたやすく行えるようになります。悪い友だちと付き合って授業をさぼり始めた生徒も、どんな悪い結果も気にせずに授業をさぼる人になってしまうかもしれません。
สรุป結論として、善い人になりたいと願う人は、たとえ最初の一回であっても、心が悪に慣れないように気をつけなければなりません。そして善を行うことを習慣となるまで訓練し、自分にとって善がなしやすく、悪がなしがたいものとなるようにすべきです。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。
ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。