ฝึกแต่งกระทู้ธรรม

เลือกพุทธศาสนสุภาษิตบทตั้ง ระบบจะเลือกบทเชื่อมและเรียบเรียงเป็นตัวอย่างเรียงความแก้กระทู้ธรรมตามแบบสนามหลวง

เป็นตัวอย่างสำหรับฝึกหัด ไม่ใช่เฉลย — ผู้สอบควรเรียบเรียงด้วยภาษาของตนเอง และจำบาลีกับคัมภีร์ที่มาให้ถูกต้อง

ฉบับทดลอง — คำอธิบายและสำนวนเชื่อมบางส่วนยังอยู่ระหว่างตรวจทาน อาจมีการปรับแก้
ภาษาของเรียงความ / Language : ไทย English Indonesia 中文 Deutsch Dansk हिन्दी 日本語 नेपाली
この作文例は練習用であり、公式の模範解答ではありません。自分の言葉で書き、パーリ語とその出典を正しく覚えてください。
เรียงความภาษาญี่ปุ่น ใช้ได้เฉพาะสุภาษิตที่มีคำอธิบายฉบับแปลแล้ว — ธรรมศึกษาชั้นตรี (ต่างประเทศ) มี ๔๓ บท · บาลีแสดงเป็นอักษรโรมัน
สุ่มบทตั้ง
ธรรมศึกษาชั้นตรี (ต่างประเทศ) · สนามหลวงกำหนดสุภาษิตให้ ๓ บท ให้ผู้สอบเลือกมาอ้างประกอบ ๑ บท · ต้องบอกชื่อคัมภีร์ที่มา · ชุดจำลองเลือกจากสุภาษิตของชั้นนี้ในหลักสูตรฉบับปรับปรุง ๒๕๕๗
ชุดสุภาษิตที่ให้เลือก (จำลอง ๓ บท)
ชั้นนี้เชื่อม ๑ บท · กดเลือกบทอื่นเพื่อเปลี่ยนแทนบทเดิม · เลือกครบแล้วระบบแต่งใหม่ทันที
ตัวอย่างนี้เรียบเรียงจากคำอธิบายพุทธศาสนสุภาษิตที่ผ่านการตรวจทาน ใช้ดูแนวการวางโครงเรื่องและการเชื่อมความ ไม่ใช่เฉลยของสนามหลวง ผู้สอบควรฝึกเขียนด้วยสำนวนของตนเอง
ธรรมศึกษาชั้นตรี (ต่างประเทศ) · บทเชื่อม ๑ บท · ภาษาญี่ปุ่น ประมาณ ๑,๕๘๘ ตัวอักษร
สุ่มสำนวนเชื่อม
Na ghāsahetupi kareyya pāpaṃ
食のためであっても悪をなすべきではない。
(小部・本生経・九集 27/262)

อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。

อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、この格言は、食のために悪をなすべきではないと教えています。「食のために」とは、ただ食べ物を得るため、あるいは自分の口を養うために、正しくないことをあえて行うことを意味します。より広い意味では、目先の利益のため、安楽のため、あるいは正しさを顧みずに生き延びるために、あえて悪をなすことも意味します。この言葉は、生きていくための必要は、悪をなす言い訳にはならないと戒めています。

ขยายความบทตั้ง多くの人は、悪をなすのは必要に迫られたからだ、家族を養わなければならないからだ、あるいはみんなもやっているからだ、と言い訳をしがちです。しかし智慧ある人は、口を養うためになした悪がもたらす結果は一時的なものにすぎないと見ます。得た食べ物で満腹になるのは一食だけですが、なした悪は長く身について離れず、のちにもっと大きな苦しみをもたらすかもしれません。ですから、戒と法をそなえた人は、自分の善を小さな利益と引き換えにするよりは、苦労し、飢え、少ないもので満足することを選びます。尊厳と心の清らかさは、どんな食べ物よりも価値があると知っているからです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๑本当の楽は、さまざまな物を手に入れることから得られるとは限らず、悪をなさないことから生まれます。身・口・意において悪を慎む人は心安らかで、恐れるものが何もありません。これは、『小部・法句経』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、この格言は、悪をなさないことは楽をもたらすと教えています。「悪をなさない」とは、身・口・意のすべてにおいて、あらゆる悪を控えることを意味します。また、ここでいう「楽」とは、体も心も安らかで、晴れ晴れとしていて、何もおびえたり心配したりする必要のない状態を意味します。この仏陀の言葉は、幸せは必ずしもさまざまなものを手に入れることから得られるのではなく、良くないことをしないことからも生じうることを示しています。

อธิบายบทเชื่อม ๑悪をなさないことから生じる楽は、深く確かな楽です。悪を行わない人は、ぐっすりと眠ることができ、過ちが暴かれるのを恐れる必要も、他の人を疑ってびくびくする必要も、過ちを隠すために嘘をつく必要もないので、心が軽やかです。反対に、悪を行う人は、望むものを手に入れたとしても、心は恐れと恥と後悔で焼けつくように苦しみます。『ダンマパダ』では、この仏陀の言葉は、戒は老いに至るまで楽をもたらす、しっかりと確立した信は楽をもたらす、智慧を得ることは楽をもたらす、という言葉と並んで出てきます。これは、悪をなさないことがあらゆる楽の土台であることを示しています。

ตัวอย่างในชีวิต実際の生活では、より多くの利益を得るために商品に混ぜ物をしたり、はかりをごまかしたりする商人は、食のために悪をなしているといえます。今よりも楽な暮らしをするために賄賂を受け取る公務員も、口を養うために悪をなしているのです。一方、収入は少なくても正直な仕事に就き、懸命に働いても決して不正をしない人は、たたえられるべき人であり、子や孫にとってのよい手本となります。

สรุป結論として、尊厳をもって生きたい人は、生活が苦しいときであっても正しさをしっかりと守るべきです。正しい生計(正命)によって暮らしを立て、飢えや欲しい気持ちに押されて悪へと向かうことのないようにすべきです。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。

Na ghāsahetupi kareyya pāpaṃ
食のためであっても悪をなすべきではない。

ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。

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