ฝึกแต่งกระทู้ธรรม

เลือกพุทธศาสนสุภาษิตบทตั้ง ระบบจะเลือกบทเชื่อมและเรียบเรียงเป็นตัวอย่างเรียงความแก้กระทู้ธรรมตามแบบสนามหลวง

เป็นตัวอย่างสำหรับฝึกหัด ไม่ใช่เฉลย — ผู้สอบควรเรียบเรียงด้วยภาษาของตนเอง และจำบาลีกับคัมภีร์ที่มาให้ถูกต้อง

ฉบับทดลอง — คำอธิบายและสำนวนเชื่อมบางส่วนยังอยู่ระหว่างตรวจทาน อาจมีการปรับแก้
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この作文例は練習用であり、公式の模範解答ではありません。自分の言葉で書き、パーリ語とその出典を正しく覚えてください。
เรียงความภาษาญี่ปุ่น ใช้ได้เฉพาะสุภาษิตที่มีคำอธิบายฉบับแปลแล้ว — ธรรมศึกษาชั้นตรี (ต่างประเทศ) มี ๔๓ บท · บาลีแสดงเป็นอักษรโรมัน
สุ่มบทตั้ง
ธรรมศึกษาชั้นตรี (ต่างประเทศ) · สนามหลวงกำหนดสุภาษิตให้ ๓ บท ให้ผู้สอบเลือกมาอ้างประกอบ ๑ บท · ต้องบอกชื่อคัมภีร์ที่มา · ชุดจำลองเลือกจากสุภาษิตของชั้นนี้ในหลักสูตรฉบับปรับปรุง ๒๕๕๗
ชุดสุภาษิตที่ให้เลือก (จำลอง ๓ บท)
ชั้นนี้เชื่อม ๑ บท · กดเลือกบทอื่นเพื่อเปลี่ยนแทนบทเดิม · เลือกครบแล้วระบบแต่งใหม่ทันที
ตัวอย่างนี้เรียบเรียงจากคำอธิบายพุทธศาสนสุภาษิตที่ผ่านการตรวจทาน ใช้ดูแนวการวางโครงเรื่องและการเชื่อมความ ไม่ใช่เฉลยของสนามหลวง ผู้สอบควรฝึกเขียนด้วยสำนวนของตนเอง
ธรรมศึกษาชั้นตรี (ต่างประเทศ) · บทเชื่อม ๑ บท · ภาษาญี่ปุ่น ประมาณ ๒,๓๒๓ ตัวอักษร
สุ่มสำนวนเชื่อม
Satimato suve seyyo
念ある人は日ごとに勝れていく。
(相応部・有偈篇 15/306)

อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。

อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、この格言は、念は毎日を善く生きる助けとなる大切な徳であると教えています。念は、不注意にならず、務めを忘れず、感情に引きずられて過ちを犯さないよう私たちに思い出させてくれるからです。ここでいう「すぐれた者」とは、生き方において善い人のことです。念を智慧と精進とともに修めれば、自分の欠点を正し、自分を高めることを学ぶ助けとなります。

ขยายความบทตั้ง不注意な人は、自分のしたことを振り返らないので、同じ過ちを繰り返すかもしれません。念を修める人は、今日自分が何を思い、何を言い、何をしたかを日ごろから思い起こし、何が善く保つべきで、何が善くなく避けたり正したりすべきかを考えます。このように自分を振り返ることは、過ちから学び、少しずつ行いを善くしていく助けとなる方法の一つです。これは、念のある人が決して過ちを犯さないということではなく、過ちを犯したときに学び、改める用意があるということです。

ขยายความบทตั้งこの格言の出典である『マニバッダ・スッタ』の中で、ブッダは、念は進歩と幸せを支えるが、念だけでは怨みから離れるには十分ではないことを示されました。そこでブッダは続けて、慈しみと、害さないことを喜ぶ心について説かれました。この教えは、他者への善意とともに念を修めること、言葉や行いで困難を生み出さないこと、争いが起きたときに恨みを抱いたり仕返しをしたりしないことを、私たちに思い出させてくれます。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๑念とは、よく憶えていて忘れないこと、うっかりしないことです。念は心をつねに目覚めさせ、人が怠らずに生き、自らの務めとなすべきことを忘れないよう助けてくれます。これは、『相応部・有偈篇』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、この格言「サティ・ローカスミ・ジャーガロー」は「念は世における目覚めの法である」と訳され、念は、人が怠ることなく、うっかりすることなく、善を行うことをおろそかにすることなく生きるよう、心に呼びかけるものであることを意味します。「念(サティ)」とは、思い起こすこと、うっかりしないこと、そして心を今している務めにしっかりと保つことを意味し、自分の務め、なすべきこと、避けるべきことを思い起こす助けとなります。ですから、念のある人は目覚めている人にたとえられます。人生を怠りのままに流されるにまかせないからです。

อธิบายบทเชื่อม ๑ここでいう眠りとは、自然な睡眠を意味するのではなく、怠り、不注意、さまざまなものに夢中になって自分の務めを忘れ、正しさをおろそかにすることのたとえです。このように心が眠っている人は、煩悩にたやすく支配されてしまいます。それは、見張り番が眠り込んでしまい、盗賊が入り込んで財を盗む隙ができた家のようなものです。ですから念は、心の門を見張る番人のようなものであり、感情のままに流されないよう注意をうながします。貪り、怒り、迷いが生じたとき、念は心に気をつけるべきことを思い起こさせ、害をもたらすかもしれない言葉や行いを、智慧を用いて考え、押しとどめる機会を開いてくれます。

อธิบายบทเชื่อม ๑この説明に合致する教えは、『ジャーガラ経』に見られます。そこでは、五根が目覚めているとき、五蓋は眠っているといわれ、五蓋が眠っているとき、五根は目覚めているといわれる、と説かれています。五根とは、信・精進・念・定・智慧であり、心の成長を支える大切な法です。一方、五蓋とは、欲貪(カーマチャンダ)すなわち欲楽への満足、瞋恚(ビャーパーダ)すなわち害しようとする思い、惛沈睡眠(ティーナミッダ)すなわち心の沈みと鈍さ、掉挙悪作(ウッダッチャクックッチャ)すなわち心の浮つきと後悔、そして疑(ヴィチキッチャー)すなわちためらいと疑いであり、心が善において進歩することを妨げる法です。ですから、五根が目覚め五蓋が眠るということは、不善の法に支配されることなく、善の法によって生きることを示すたとえなのです。

อธิบายบทเชื่อม ๑『ジャーガラ経』の注釈書は、五根をそなえた人は、眠っていても目覚めている人と呼ばれる、怠らず善をそなえているからである、と説明しています。一方、五蓋をそなえた人は、ほかのどんな姿勢でいても眠っている人と呼ばれる、怠っていて不善をそなえているからである、と説明しています。ですから、「眠っていても目覚めているといわれる」という言葉は、法の上で怠らない人であることを意味するのであって、眠っているあいだも周りの出来事や危険を常に感じ取っている、という意味ではありません。

ตัวอย่างในชีวิต日常生活では、念のある生徒は、先生が宿題の誤りを指摘したとき、注意深く耳を傾け、その助言を生かして改めます。念のある働き手は、自分の仕事を日ごろから点検し、見つけた欠点を正します。以前は乱暴な話し方をしていた人も、話す前に立ち止まり、聞き手の気持ちを思いやるよう練習すれば、少しずつ言葉を丁寧にしていくことができます。これらは、念を用いて毎日善を築いていく例です。

สรุป結論として、私たちは、務めを果たすときも自分を振り返るときも念を修め、善いことを保ち、誤りを正し、慈しみをもって人に接するべきです。修行を続ければ、念は私たちが注意深く生き、善を心の拠り所とする助けとなります。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。

Satimato suve seyyo
念ある人は日ごとに勝れていく。

ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。

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