ฝึกแต่งกระทู้ธรรม

เลือกพุทธศาสนสุภาษิตบทตั้ง ระบบจะเลือกบทเชื่อมและเรียบเรียงเป็นตัวอย่างเรียงความแก้กระทู้ธรรมตามแบบสนามหลวง

เป็นตัวอย่างสำหรับฝึกหัด ไม่ใช่เฉลย — ผู้สอบควรเรียบเรียงด้วยภาษาของตนเอง และจำบาลีกับคัมภีร์ที่มาให้ถูกต้อง

ฉบับทดลอง — คำอธิบายและสำนวนเชื่อมบางส่วนยังอยู่ระหว่างตรวจทาน อาจมีการปรับแก้
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この作文例は練習用であり、公式の模範解答ではありません。自分の言葉で書き、パーリ語とその出典を正しく覚えてください。
เรียงความภาษาญี่ปุ่น ใช้ได้เฉพาะสุภาษิตที่มีคำอธิบายฉบับแปลแล้ว — นักธรรมชั้นตรี มี ๔๓ บท · บาลีแสดงเป็นอักษรโรมัน
สุ่มบทตั้ง
นักธรรมชั้นตรี · สนามหลวงกำหนดให้อ้างสุภาษิตมาประกอบอย่างน้อย ๑ บท และเขียนไม่น้อยกว่า ๒ หน้ากระดาษ · ต้องบอกชื่อคัมภีร์ที่มา และไม่ซ้ำกับบทตั้ง · บทเชื่อมใช้เฉพาะสุภาษิตในพุทธศาสนสุภาษิต เล่ม ๑
สุภาษิตบทเชื่อมที่เข้ากัน
ชั้นนี้เชื่อม ๑ บท · กดเลือกบทอื่นเพื่อเปลี่ยนแทนบทเดิม · เลือกครบแล้วระบบแต่งใหม่ทันที
ตัวอย่างนี้เรียบเรียงจากคำอธิบายพุทธศาสนสุภาษิตที่ผ่านการตรวจทาน ใช้ดูแนวการวางโครงเรื่องและการเชื่อมความ ไม่ใช่เฉลยของสนามหลวง ผู้สอบควรฝึกเขียนด้วยสำนวนของตนเอง
นักธรรมชั้นตรี · บทเชื่อม ๑ บท · ภาษาญี่ปุ่น ประมาณ ๑,๖๕๒ ตัวอักษร
สุ่มสำนวนเชื่อม
Natthi citte pasannamhiAppakā nāma dakkhiṇā
心が浄信に満ちているとき、小さいと呼ばれる布施はない。
(小部・天宮事 26/82)

อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。

อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、この格言は、布施の果報は与える物の量や値段だけで決まるのではなく、何よりも与える人の心によって決まると教えています。「心が浄信に満ちている」とは、信によって澄みきった心、功徳を信じ、与えることを喜ぶ心を意味します。また「施物」(ダッキナー)とは、敬意をもって与える物、あるいは徳を供養するために与える物を意味します。与える人の心が浄信に満ちているなら、その布施はけっして少ない布施とはいえないのです。

ขยายความบทตั้งそうなる理由は、功徳が心において生じるからです。三つの時における善い意志、すなわち与える前には喜び、与えているときには心が澄み、与えたあとには満ち足りて惜しまないという意志をともなった布施は、大きな果報をもたらします。反対に、しぶしぶ与えたり、面目を得たいがために与えたり、与えたあとで惜しんだりした多くの物は、心が曇っているため、その布施の果報も心の曇りに応じて少なくなります。ですから、信のある貧しい人も、清らかな心で与えさえすれば、裕福な人に劣らず功徳を積むことができるのです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๑智慧が乏しく、自分本位に世の中を見る人は、布施の価値が分かりません。そのため布施を称賛せず、かえって施すことを物の無駄遣いだと考えます。これは、『小部・法句経』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、この格言における「愚か者」とは、単に素行の悪い人だけを意味するのではなく、智慧が劣り、善の価値を見ることができず、自分本位に世の中を見る人を意味します。このような人は布施をたたえません。すなわち、与えることを立派なことだと考えず、与えることを物をむだに失うことだとか、与える人の愚かさだとみなしがちで、ときには功徳を積んで布施をする人を、自分を見せびらかすためにやっているのだと見下したりします。

อธิบายบทเชื่อม ๑愚か者が布施をたたえないのは、目に見えるものしか見ないからです。つまり、財が減ることは見えても、与えることによって得られるもの、たとえば心の満足、友情、尊敬、そして自分についてくる功徳は見えないのです。『ダンマパダ』には、物惜しみする者は天界に行くことができず、愚か者は布施をたたえないが、賢者は布施を随喜し、その随喜によって来世で幸せになる、という仏陀の言葉があります。これは、他の人の布施を喜ぶことだけでも功徳になることを示していますが、愚か者は自分でその機会を閉ざしてしまうのです。

ตัวอย่างในชีวิตたとえば、あまりお金のない一人の老婦人が、毎日朝早く起きてご飯を炊き、心を込めて托鉢の鉢に食べ物を入れ、入れ終わると喜びに満ちて合掌します。この婦人の功徳は、彼女自身の心の中で大きなものとなります。わずかなお小遣いしかもたない生徒が、被災した友だちを助けるために心から喜んで硬貨を募金箱に入れることも、価値ある布施です。一方、自分の名前を掲示板に載せるためだけに多額の寄付をする人は、心が本当に与えることに浄信をいだいていないなら、得られるはずの功徳よりも少ない功徳しか得られません。

สรุป結論として、布施をして功徳を積みたいと願う人は、自分の持ち物が少ないからといって落胆すべきではなく、また多く与えたのだから必ず多くの功徳を得るはずだと油断すべきでもありません。与える前も、与えているときも、与えたあとも、与えるたびに心を澄んだ状態に保つべきです。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。

Natthi citte pasannamhiAppakā nāma dakkhiṇā
心が浄信に満ちているとき、小さいと呼ばれる布施はない。

ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。

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