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อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。
อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、この格言は、与えるとき功徳が増すと教えています。「功徳」とは、心を清め、幸せの原因となる善を意味します。人が手放す心をもって与えるたびに、功徳は心の中に生じ、しだいに積み重なっていきます。ちょうど、かめに一滴ずつ落ちる水のように、わずかであっても、絶えず落ち続ければいっぱいになることができるのです。
ขยายความบทตั้ง与えるときに功徳が増すというのは、与えているとき、与える人の心は物惜しみの一部を捨て去り、心を狭くする煩悩である貪りが薄らいで、心が広く澄んでくるからです。これが現世において見ることのできる功徳です。与える回数が多ければ多いほど、与えることは習慣となり、心は善においてますます揺るぎないものとなります。この仏陀の言葉は、「自ら慎んでいれば、恨みは生じない」という言葉と対になって出てきます。これは、与えることが善を増し、慎むことが悪を生じさせないことを示しており、この二つは善い人生を歩むうえで対をなしているのです。
ประโยคสะพาน + ที่มา ๑布施の果報は、品物の量や値段だけで決まるものではなく、施す人の心によって決まります。わずかな物であっても、浄信の心で施せば大きな果報があるのです。これは、『小部・天宮事』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。
อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、この格言は、布施の果報は与える物の量や値段だけで決まるのではなく、何よりも与える人の心によって決まると教えています。「心が浄信に満ちている」とは、信によって澄みきった心、功徳を信じ、与えることを喜ぶ心を意味します。また「施物」(ダッキナー)とは、敬意をもって与える物、あるいは徳を供養するために与える物を意味します。与える人の心が浄信に満ちているなら、その布施はけっして少ない布施とはいえないのです。
อธิบายบทเชื่อม ๑そうなる理由は、功徳が心において生じるからです。三つの時における善い意志、すなわち与える前には喜び、与えているときには心が澄み、与えたあとには満ち足りて惜しまないという意志をともなった布施は、大きな果報をもたらします。反対に、しぶしぶ与えたり、面目を得たいがために与えたり、与えたあとで惜しんだりした多くの物は、心が曇っているため、その布施の果報も心の曇りに応じて少なくなります。ですから、信のある貧しい人も、清らかな心で与えさえすれば、裕福な人に劣らず功徳を積むことができるのです。
ตัวอย่างในชีวิต実際の生活では、一日にひとさじのご飯を托鉢の鉢に入れることから始めた人も、長く続けるうちに心が満ち足りて、寺の仕事を手伝ったり、戒を守ったり、社会のために寄付をしたりと、ほかの善も行いたいと思うようになります。先生の荷物を持つのを手伝ったり、友だちと教室を片づけたりする生徒も、何度も行ううちに、誰からも好かれる思いやりのある人になります。ですから、わずかであっても絶えず与えることは、長い目で見れば大きな功徳を生み出すのです。
สรุป結論として、功徳を願う人は、多くの財を持つようになるまで待ってから行うのではなく、あらゆる機会に自分の力に応じて努めて与えるべきです。与えるたびに功徳はただちに増し、その功徳は、どこへ行っても自分についてくる財だからです。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。
ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。