ฝึกแต่งกระทู้ธรรม

เลือกพุทธศาสนสุภาษิตบทตั้ง ระบบจะเลือกบทเชื่อมและเรียบเรียงเป็นตัวอย่างเรียงความแก้กระทู้ธรรมตามแบบสนามหลวง

เป็นตัวอย่างสำหรับฝึกหัด ไม่ใช่เฉลย — ผู้สอบควรเรียบเรียงด้วยภาษาของตนเอง และจำบาลีกับคัมภีร์ที่มาให้ถูกต้อง

ฉบับทดลอง — คำอธิบายและสำนวนเชื่อมบางส่วนยังอยู่ระหว่างตรวจทาน อาจมีการปรับแก้
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この作文例は練習用であり、公式の模範解答ではありません。自分の言葉で書き、パーリ語とその出典を正しく覚えてください。
เรียงความภาษาญี่ปุ่น ใช้ได้เฉพาะสุภาษิตที่มีคำอธิบายฉบับแปลแล้ว — นักธรรมชั้นโท มี ๒๙ บท · บาลีแสดงเป็นอักษรโรมัน
สุ่มบทตั้ง
นักธรรมชั้นโท · สนามหลวงกำหนดให้อ้างสุภาษิตมาประกอบอย่างน้อย ๒ บท และเขียนไม่น้อยกว่า ๓ หน้ากระดาษ · ต้องบอกชื่อคัมภีร์ที่มา และไม่ซ้ำกับบทตั้ง · บทเชื่อมใช้เฉพาะสุภาษิตในพุทธศาสนสุภาษิต เล่ม ๒
สุภาษิตบทเชื่อมที่เข้ากัน
ชั้นนี้เชื่อม ๒ บท · ลำดับที่กดเลือก = ลำดับในเรียงความ · ครบแล้วต้องเอาบทเดิมออกก่อนจึงเลือกบทอื่นได้ · เลือกครบแล้วระบบแต่งใหม่ทันที
ตัวอย่างนี้เรียบเรียงจากคำอธิบายพุทธศาสนสุภาษิตที่ผ่านการตรวจทาน ใช้ดูแนวการวางโครงเรื่องและการเชื่อมความ ไม่ใช่เฉลยของสนามหลวง ผู้สอบควรฝึกเขียนด้วยสำนวนของตนเอง
นักธรรมชั้นโท · บทเชื่อม ๒ บท · ภาษาญี่ปุ่น ประมาณ ๓,๒๐๓ ตัวอักษร
สุ่มสำนวนเชื่อม
Yattha posaṃ na jānantiJātiyā vinayena vā
Na tattha mānaṃ kayirāthaVasaṃ aññātake jane
生まれや習わしをまだ知らない人々の間にあっては、見知らぬ人々のなかで慢心を示すべきではない。
(小部・本生経・四集 27/131)

อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。

อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、この偈は、まだ自分のことを知らない人々の中にいるときには、謙虚にふるまい、慢心を起こさず、相手が自分を敬ってくれないことにも忍耐すべきであることを意味しています。意訳すると、人々がある人を生まれによっても教育やしつけによっても知らない所では、その人は自分を知らない人々の中にいるとき、慢心を起こすべきではない、となります。ここでいう「ジャーティ(生まれ)」とは出生や家柄のことであり、「ヴィナヤ(慣習)」とは受けてきた教育やしつけ、身につけた行いのことです。

ขยายความบทตั้งこの偈は『ダッダラ・ジャータカ』に出てくるもので、よその土地に住むときに慢心を減らし、耐え忍ぶことを教えています。この格言は、とりわけまだ自分を知らない人々の中に住むようになったときに、謙虚であることを教えています。たとえよい家柄の出であっても、知識があっても、ほかの所で尊敬を受けていたとしても、誰もが自分を知り、敬ってくれるものと期待すべきではありません。相手がまだこちらの美点を知らないときには、腹を立てたり慢心を見せたりせず、よい立派な行いを通して自分を知ってもらうべきです。

ขยายความบทตั้ง自らのうちに美点をそなえた人は、認めてもらうために自分を高くして他人を見下す必要はありません。丁寧に話し、他人の話に耳を傾け、責任をもって自分の務めを果たすことを心得ていれば、おのずと人々に自分の価値を知ってもらう機会が開かれます。このような謙虚さは自分の価値を下げることではなく、慢心が怒りや争いにつながらないよう心を守ることなのです。慢(マーナ)すなわち慢心は微細な煩悩であり、学ぶ者は、三十八の吉祥の一つである謙遜(ニヴァータ)によってそれを減らすよう修練すべきです。ただし、慢心を起こさないということは、自分を卑下したり正しい道理を捨てたりすることではありません。よその土地に住む人も、自分の戒と善行は保ち続けるべきであり、ただ自分の立場を持ち出して他人を見下さなければよいのです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๑悪人と交わる人は、本当の楽を得ることができず、かえって自ら災いと損失を招きます。大トカゲの群れに入ったカメレオンが、ともに危険にさらされるのと同じです。これは、『小部・本生経・一集』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、この格言は、人とつき合うことに注意するよう警告しています。私たちが親しむ人は、私たちの人生を導く一因となるからです。悪を好む人と親しみ、その人を信じ込んだり従ったりすれば、苦しみが自分にも周りの人々にも及ぶことがあります。

อธิบายบทเชื่อม ๑『ゴーダ・ジャータカ』の注釈書には、次のような話があります。オオトカゲの王の子が一匹のカメレオンと友だちになりました。父が止めても、子は聞き入れませんでした。成長してからも、王の子はかつて遊んでいたときのようにカメレオンを抱きしめて押しつぶしたので、カメレオンは痛みに苦しみ、オオトカゲの群れを滅ぼそうと考えました。そして猟師を群れのすみかに案内し、破滅をもたらしました。一方、オオトカゲの王は前もって逃げ道を用意していたので、災いを免れることができました。この話は、思慮を欠いて人と親しみ、忠告に耳を貸さないことが、多くの者に災いをもたらしうることを警告しています。

อธิบายบทเชื่อม ๑「完全な安楽」とは、ここでわかりやすく言えば、満ち足りた安楽のことです。悪人に親しむ人は、何らかの楽しみや利益を得ることもあるかもしれません。しかし、その楽しみが過ちへと誘うものであったり、その利益が不正によって得られたものであったりすれば、それは後の苦しみの原因となります。ですから、自分が親しむ人がどのような方向へ誘っているのか、つまり誠実さ、勤勉さ、責任感へと誘うのか、それとも欺き、害し、務めを放り出すことへと誘うのかを、よく考えるべきです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๒人が他の人の苦しみの上に自分の楽を築き、力や暴力で他を害するならば、そうして得た楽は長続きせず、死後にも楽を得ることはありません。これは、『小部・法句経』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๒説明いたしますと、「生きとし生けるもの」には、人間もその他の動物も含まれます。「杖」とは、ここでは害を加えるのに用いる棒や武器のことであり、「死後に」とは、この世を去った後、すなわち死んだ後のことです。この格言は、他の命を害して自分の安楽を求めることは悪業であり、来世の安楽には至らないと警告しています。

อธิบายบทเชื่อม ๒『ダンマパダ』の注釈書には、次のような話があります。ブッダは、子どもたちが棒で蛇を打っているのをご覧になりました。そのわけをお尋ねになると、子どもたちは蛇にかまれるのが怖いからだと答えました。そこでブッダは、自分の安楽を願う者は他の生きものを害してはならないとお教えになり、この偈をお説きになりました。この話は、私たちが命を愛し、痛みを嫌うのと同じように、他の命もまた安楽を求め、害されることを望まないということを考えさせてくれます。

อธิบายบทเชื่อม ๒他者を害する人は、目先の満足や利益を得るかもしれませんが、その満足は相手の苦しみの上に成り立っています。さらに、恐れや争いや不和を引き起こすこともあります。害することに慣れてしまうと、他者の痛みをますます見過ごしやすくなることもあります。ですから私たちは慈しみを修め、自分の安楽のためにしていることが誰かに苦しみを与えていないかを考えるべきです。

ตัวอย่างในชีวิต日常生活では、学問のため、あるいは雨安居を過ごすためにほかの寺へ行く比丘が、その寺の規則に従い、新参者として務めを行い、自分の法臘やパーリ語の学位、前の寺での役職を誇らなければ、僧団の人々から慕われます。新しい職場に移った人は、以前に長を務めていたとしても、そこでの仕事のやり方を謙虚に学ぶべきです。また、転校した生徒は、心を開いて礼儀正しく新しい友だちと知り合い、友だちがまだ自分を重んじてくれないことを気にかけなければ、自分が優れていると見せつける人よりも早くなじむことができます。

สรุป結論として、新しい場所に住むときや、まだなじみのない人々と一緒に働くときには、ふるまいを慎み、忍耐し、相手が期待どおりに自分を重んじてくれないというだけで気にかけるべきではありません。さらに、自分を知り敬ってくれる人々の中にいるときにも、謙虚さを保ち続けるべきです。美点は、慢心のなさと結びついたときにいっそう美しくなるからです。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。

Yattha posaṃ na jānantiJātiyā vinayena vā
Na tattha mānaṃ kayirāthaVasaṃ aññātake jane
生まれや習わしをまだ知らない人々の間にあっては、見知らぬ人々のなかで慢心を示すべきではない。

ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。

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