ฝึกแต่งกระทู้ธรรม

เลือกพุทธศาสนสุภาษิตบทตั้ง ระบบจะเลือกบทเชื่อมและเรียบเรียงเป็นตัวอย่างเรียงความแก้กระทู้ธรรมตามแบบสนามหลวง

เป็นตัวอย่างสำหรับฝึกหัด ไม่ใช่เฉลย — ผู้สอบควรเรียบเรียงด้วยภาษาของตนเอง และจำบาลีกับคัมภีร์ที่มาให้ถูกต้อง

ฉบับทดลอง — คำอธิบายและสำนวนเชื่อมบางส่วนยังอยู่ระหว่างตรวจทาน อาจมีการปรับแก้
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この作文例は練習用であり、公式の模範解答ではありません。自分の言葉で書き、パーリ語とその出典を正しく覚えてください。
เรียงความภาษาญี่ปุ่น ใช้ได้เฉพาะสุภาษิตที่มีคำอธิบายฉบับแปลแล้ว — นักธรรมชั้นโท มี ๒๙ บท · บาลีแสดงเป็นอักษรโรมัน
สุ่มบทตั้ง
นักธรรมชั้นโท · สนามหลวงกำหนดให้อ้างสุภาษิตมาประกอบอย่างน้อย ๒ บท และเขียนไม่น้อยกว่า ๓ หน้ากระดาษ · ต้องบอกชื่อคัมภีร์ที่มา และไม่ซ้ำกับบทตั้ง · บทเชื่อมใช้เฉพาะสุภาษิตในพุทธศาสนสุภาษิต เล่ม ๒
สุภาษิตบทเชื่อมที่เข้ากัน
ชั้นนี้เชื่อม ๒ บท · ลำดับที่กดเลือก = ลำดับในเรียงความ · ครบแล้วต้องเอาบทเดิมออกก่อนจึงเลือกบทอื่นได้ · เลือกครบแล้วระบบแต่งใหม่ทันที
ตัวอย่างนี้เรียบเรียงจากคำอธิบายพุทธศาสนสุภาษิตที่ผ่านการตรวจทาน ใช้ดูแนวการวางโครงเรื่องและการเชื่อมความ ไม่ใช่เฉลยของสนามหลวง ผู้สอบควรฝึกเขียนด้วยสำนวนของตนเอง
นักธรรมชั้นโท · บทเชื่อม ๒ บท · ภาษาญี่ปุ่น ประมาณ ๓,๑๓๓ ตัวอักษร
สุ่มสำนวนเชื่อม
Ye na kāhanti ovādaṃNarā buddhena desitaṃ
Byasanaṃ te gamissantiRakkhasīhiva vāṇijā
知者の示した教誡に従って行わない者は、商人たちが海賊によって破滅したように破滅するであろう。
(小部・本生経・二集 27/71)

อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。

อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、この格言は、賢者の説いた教えや教訓に従わない者は破滅に至ると戒めています。ここでいう「賢者」はパーリ語の「ブッダ」の訳で、法を悟られた仏陀を指し、広げて明らかな智慧をそなえた賢者をも意味します。また、「破滅」(ビャサナ)とは、財産、生命、徳のいずれの面においても、滅び、損なわれることを意味します。

ขยายความบทตั้งこの偈は『ヴァラーハッサ・ジャータカ』(二集)に出てくるものです。パーリ語の「ラッカスィー」は、語としては羅刹女、すなわち凶暴な女の夜叉を意味します。仏教格言集では、意味をとって「海賊」と訳しています。つまり、海を旅する商人を待ち伏せて襲う悪人のことです。ジャータカによれば、多くの商人が難破してある島に上陸したところ、夜叉女たちが美しい女に姿を変えて彼らを迎え、ともに暮らそうと誘いました。ヴァラーハカという馬に生まれていた菩薩は空を飛んで助けに来て、家に帰りたい者は自分の背に乗るようにと呼びかけました。警告を信じた商人たちは無事に家に帰り着きましたが、夜叉女たちが差し出す楽しみにとらわれて行こうとしなかった者たちは、のちに夜叉女たちに食べられて命を落としました。このたとえは、警告を受けながらも、目や心を惑わすものに迷って耳を貸さない者は、気づかぬうちに危険に陥るということを教えています。

ขยายความบทตั้งよく考えるべきことは、仏教において教えに従うとは、智慧を用いずにただ信じることではないという点です。仏陀は、何が善であり何が不善であるかを自ら吟味するよう教えられました。しかし、その教えが正しく有益であると見たならば、ただ知って脇に置いておくのではなく、実際に実践すべきです。ジャータカの夜叉女は、はじめは喜ばしく見えても、のちに破滅をもたらす欲楽や誘惑にたとえることができます。世間的なレベルでの破滅とはこの世での損失のことであり、より深いレベルでは、師が示された道を歩まないために、苦から解脱する機会を逃し、輪廻の中をめぐり続けることです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๑悪人と交わる人は、本当の楽を得ることができず、かえって自ら災いと損失を招きます。大トカゲの群れに入ったカメレオンが、ともに危険にさらされるのと同じです。これは、『小部・本生経・一集』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、この格言は、人とつき合うことに注意するよう警告しています。私たちが親しむ人は、私たちの人生を導く一因となるからです。悪を好む人と親しみ、その人を信じ込んだり従ったりすれば、苦しみが自分にも周りの人々にも及ぶことがあります。

อธิบายบทเชื่อม ๑『ゴーダ・ジャータカ』の注釈書には、次のような話があります。オオトカゲの王の子が一匹のカメレオンと友だちになりました。父が止めても、子は聞き入れませんでした。成長してからも、王の子はかつて遊んでいたときのようにカメレオンを抱きしめて押しつぶしたので、カメレオンは痛みに苦しみ、オオトカゲの群れを滅ぼそうと考えました。そして猟師を群れのすみかに案内し、破滅をもたらしました。一方、オオトカゲの王は前もって逃げ道を用意していたので、災いを免れることができました。この話は、思慮を欠いて人と親しみ、忠告に耳を貸さないことが、多くの者に災いをもたらしうることを警告しています。

อธิบายบทเชื่อม ๑「完全な安楽」とは、ここでわかりやすく言えば、満ち足りた安楽のことです。悪人に親しむ人は、何らかの楽しみや利益を得ることもあるかもしれません。しかし、その楽しみが過ちへと誘うものであったり、その利益が不正によって得られたものであったりすれば、それは後の苦しみの原因となります。ですから、自分が親しむ人がどのような方向へ誘っているのか、つまり誠実さ、勤勉さ、責任感へと誘うのか、それとも欺き、害し、務めを放り出すことへと誘うのかを、よく考えるべきです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๒人が他の人の苦しみの上に自分の楽を築き、力や暴力で他を害するならば、そうして得た楽は長続きせず、死後にも楽を得ることはありません。これは、『小部・法句経』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๒説明いたしますと、「生きとし生けるもの」には、人間もその他の動物も含まれます。「杖」とは、ここでは害を加えるのに用いる棒や武器のことであり、「死後に」とは、この世を去った後、すなわち死んだ後のことです。この格言は、他の命を害して自分の安楽を求めることは悪業であり、来世の安楽には至らないと警告しています。

อธิบายบทเชื่อม ๒『ダンマパダ』の注釈書には、次のような話があります。ブッダは、子どもたちが棒で蛇を打っているのをご覧になりました。そのわけをお尋ねになると、子どもたちは蛇にかまれるのが怖いからだと答えました。そこでブッダは、自分の安楽を願う者は他の生きものを害してはならないとお教えになり、この偈をお説きになりました。この話は、私たちが命を愛し、痛みを嫌うのと同じように、他の命もまた安楽を求め、害されることを望まないということを考えさせてくれます。

อธิบายบทเชื่อม ๒他者を害する人は、目先の満足や利益を得るかもしれませんが、その満足は相手の苦しみの上に成り立っています。さらに、恐れや争いや不和を引き起こすこともあります。害することに慣れてしまうと、他者の痛みをますます見過ごしやすくなることもあります。ですから私たちは慈しみを修め、自分の安楽のためにしていることが誰かに苦しみを与えていないかを考えるべきです。

ตัวอย่างในชีวิต日常生活では、先生から授業の復習を欠かさないよう注意されても聞かず、遊んで時間を過ごしてしまった沙弥は、試験のときに答えられずに後悔することになります。堕落へと誘う者と付き合わないよう親から注意されても、意地を張ってついて行く人は、困った目にあうかもしれません。安全について、あるいはお金を慎重に使うことについて助言を受けながら、それをおろそかにして守らない会社員は、事故にあったり、立て直すのが難しいほどの借金を抱えたりするかもしれません。

สรุป結論として、私たちは仏陀の教えや善意ある賢者の教えに心を開いて耳を傾け、智慧によってよく考えたうえで受け入れて実践し、目先の楽しさや便利さのために放逸になってはなりません。正しい教えに従うことは、現在と未来の危険を防ぐ鎧となります。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。

Ye na kāhanti ovādaṃNarā buddhena desitaṃ
Byasanaṃ te gamissantiRakkhasīhiva vāṇijā
知者の示した教誡に従って行わない者は、商人たちが海賊によって破滅したように破滅するであろう。

ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。

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