ฝึกแต่งกระทู้ธรรม

เลือกพุทธศาสนสุภาษิตบทตั้ง ระบบจะเลือกบทเชื่อมและเรียบเรียงเป็นตัวอย่างเรียงความแก้กระทู้ธรรมตามแบบสนามหลวง

เป็นตัวอย่างสำหรับฝึกหัด ไม่ใช่เฉลย — ผู้สอบควรเรียบเรียงด้วยภาษาของตนเอง และจำบาลีกับคัมภีร์ที่มาให้ถูกต้อง

ฉบับทดลอง — คำอธิบายและสำนวนเชื่อมบางส่วนยังอยู่ระหว่างตรวจทาน อาจมีการปรับแก้
ภาษาของเรียงความ / Language : ไทย English Indonesia 中文 Deutsch Dansk हिन्दी 日本語 नेपाली
この作文例は練習用であり、公式の模範解答ではありません。自分の言葉で書き、パーリ語とその出典を正しく覚えてください。
เรียงความภาษาญี่ปุ่น ใช้ได้เฉพาะสุภาษิตที่มีคำอธิบายฉบับแปลแล้ว — ธรรมศึกษาชั้นเอก ระดับอุดมศึกษาและประชาชนทั่วไป มี ๖ บท · บาลีแสดงเป็นอักษรโรมัน
สุ่มบทตั้ง
ธรรมศึกษาชั้นเอก ระดับอุดมศึกษาและประชาชนทั่วไป · ขอบข่ายหลักสูตร ๒๕๖๔ กำหนดให้อ้างอิงสุภาษิตที่กำหนดให้เท่านั้น ไม่น้อยกว่า ๓ สุภาษิต ความยาวตั้งแต่ ๔ หน้าขึ้นไป (เว้นบรรทัด) พร้อมยกตัวอย่างเหตุการณ์ในชีวิตประจำวัน · บทเชื่อมใช้เฉพาะ ๒๐ บทในขอบข่ายของช่วงชั้นนี้
สุภาษิตบทเชื่อมที่เข้ากัน
ชั้นนี้เชื่อม ๓ บท · ลำดับที่กดเลือก = ลำดับในเรียงความ · ครบแล้วต้องเอาบทเดิมออกก่อนจึงเลือกบทอื่นได้ · เลือกครบแล้วระบบแต่งใหม่ทันที
ตัวอย่างนี้เรียบเรียงจากคำอธิบายพุทธศาสนสุภาษิตที่ผ่านการตรวจทาน ใช้ดูแนวการวางโครงเรื่องและการเชื่อมความ ไม่ใช่เฉลยของสนามหลวง ผู้สอบควรฝึกเขียนด้วยสำนวนของตนเอง
ธรรมศึกษาชั้นเอก ระดับอุดมศึกษาและประชาชนทั่วไป · บทเชื่อม ๓ บท · ภาษาญี่ปุ่น ประมาณ ๓,๗๑๓ ตัวอักษร
สุ่มสำนวนเชื่อม
Paññā hi seṭṭhā kusalā vadanti
Nakkhattarājāriva tārakānaṃ
Sīlaṃ sirī cāpi satañca dhammo
Anvāyikā paññavato bhavanti
賢い人々は言う、智慧こそ最上であると。月が星々にまさるように。戒も栄光も善人の法も、智慧ある者に従う。
(小部・本生経・四十集 27/541)

อารัมภบทこれより、冒頭に掲げた法の主題の意味を詳しく説き明かし、学びと実践の指針といたします。

อธิบายบทตั้ง説明いたしますと、この格言は、智慧を人生を導く光として讃えています。智慧は、何をすべきか、何を避けるべきか、そして今日は心にかなっても明日には苦しみをもたらしうるものは何かを知る助けとなるのです。

ขยายความบทตั้ง夜、月が星々の中でひときわ明るく輝くように、智慧もまた人生の道を照らしてくれます。智慧があれば、私たちは何が欲しいかだけを見るのではなく、それが正しい方法で得られるものかどうかも考えます。言って気が晴れるかどうかだけを見るのではなく、その言葉が誰かを傷つけないかも考えます。ですから智慧は、たとえその道が時に忍耐と犠牲を必要とするとしても、よい道を選ぶ助けとなるのです。

ขยายความบทตั้ง戒と栄光と善き人の法が智慧ある者に従うというのは、道理を考えることを知れば、よい行いの価値が見えるという意味です。智慧ある人は、害することが苦しみをもたらすと見て戒を守ろうと決意し、誠実さ、慈しみ、恩を知ることの価値を見て、善き人の法を実践します。また栄光、すなわち気品や繁栄も、ふさわしく生きることを知ることによって支えられます。このように智慧は、あらゆる徳を実際の人生に役立つものへと導くのです。

ขยายความบทตั้งこの格言が讃える智慧とは、他人をだましたり利用したりする賢さのことではありません。巧みにごまかす方法を考えつく人は、機転はあるかもしれませんが、その行いの過ちを見抜く理解を欠いています。ですから智慧ある人は、利益と正しさの両方を考えることを知り、一時の利益のために誠実さを手放さず、自分の能力を使って誰かに苦しみを与えることもしないのです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๑智慧の乏しい者が名声や地位、権力や従う人々を得ると、それらを益のないことに使いがちで、ついには自他を害する道具にしてしまいます。これは、『小部・本生経・一集』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๑説明いたしますと、「名声」(ヤサ)とは、ここでは地位、権力、名誉、そして従う人々を指します。この格言は、智慧のない人の手に渡った名声は、自分と他者をともに滅ぼす道具になると警告しています。

อธิบายบทเชื่อม ๑名声と権力は、非常に強い力をもつ道具のようなものです。賢者の手にあれば公のための利益を生み出すのに使われますが、愚か者の手にあれば、自分の欲望を満たすために使われます。たとえば、権力を使って他者を抑えつけたり、不正な利益を求めたり、おごり高ぶってあらゆる忠告に耳を貸さなくなったりします。このような行いは他者を直接害し、最後には自分に返ってきて、尊敬を失い、罰を受け、名声そのものを失うことになります。

อธิบายบทเชื่อม ๑この格言は、名声を得ることはただ喜ぶべきことではなく、それを保つには智慧と徳を必要とする責任であると教えています。重要な地位に就こうとする人は備えをすべきであり、人を地位に選ぶ役目の人も、能力や親しさだけでなく、その人の智慧と行いを考えるべきです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๒人が他の人の苦しみの上に自分の楽を築き、力や暴力で他を害するならば、そうして得た楽は長続きせず、死後にも楽を得ることはありません。これは、『小部・法句経』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๒説明いたしますと、「生きとし生けるもの」には、人間もその他の動物も含まれます。「杖」とは、ここでは害を加えるのに用いる棒や武器のことであり、「死後に」とは、この世を去った後、すなわち死んだ後のことです。この格言は、他の命を害して自分の安楽を求めることは悪業であり、来世の安楽には至らないと警告しています。

อธิบายบทเชื่อม ๒『ダンマパダ』の注釈書には、次のような話があります。ブッダは、子どもたちが棒で蛇を打っているのをご覧になりました。そのわけをお尋ねになると、子どもたちは蛇にかまれるのが怖いからだと答えました。そこでブッダは、自分の安楽を願う者は他の生きものを害してはならないとお教えになり、この偈をお説きになりました。この話は、私たちが命を愛し、痛みを嫌うのと同じように、他の命もまた安楽を求め、害されることを望まないということを考えさせてくれます。

อธิบายบทเชื่อม ๒他者を害する人は、目先の満足や利益を得るかもしれませんが、その満足は相手の苦しみの上に成り立っています。さらに、恐れや争いや不和を引き起こすこともあります。害することに慣れてしまうと、他者の痛みをますます見過ごしやすくなることもあります。ですから私たちは慈しみを修め、自分の安楽のためにしていることが誰かに苦しみを与えていないかを考えるべきです。

ประโยคสะพาน + ที่มา ๓智慧の乏しい愚者は、悪業をなしている最中には、その害が見えないために気づかないことがよくあります。しかし業の報いが現れたとき、火に焼かれるように自らの業に苦しみます。これは、『小部・法句経』に説かれる次の仏陀の言葉のとおりです。

อธิบายบทเชื่อม ๓説明いたしますと、この格言は、愚か者は後に続く悪い結果をはっきりと知らないまま悪を行うが、悪業が報いをもたらすとき、自分のしたことによって自ら苦しみを受けなければならないと教えています。ここでいう「愚か者」とは、罪と功徳、利益と害を考える智慧を欠いた人を指しており、教育をあまり受けていない人を意味するのではありません。

อธิบายบทเชื่อม ๓この句の「気づかない」という言葉について、注釈書は、自分のなした業がどのような報いをもたらすかを知らないことであり、悪を行っていることを知らないという意味ではないと説明しています。たとえば、ある人は、ごまかしたり他人を傷つけたりすることが間違いだと知っていながら、利益を得たい、あるいは仕返しをしたいという思いから、その後に来る悪い結果に気づかないまま行ってしまいます。また「火に焼かれたかのように」という言葉は、悪業の報いによる焼けつくような苦しみを表しており、注釈書は地獄での苦しみにも言及しています。したがってそれは、自分が間違ったことをしたと知ったときの後悔よりも広い意味を持っているのです。

อธิบายบทเชื่อม ๓大切な教えは、その時に得られる満足や利益だけを見るのではなく、行動する前に念と智慧を用いて、それが正しいかどうか、誰かを害することにならないか、どのような悪い結果が生じうるかを考えるべきだということです。たとえ怒っているときや、何かをひどく欲しているときでも、立ち止まって考え、感情に流されて過ちを犯さないようにすべきです。悪い結果がすぐに見えないからといって、悪が行ってよいものになるわけではありません。

ตัวอย่างในชีวิต日常生活では、智慧を用いる生徒は、熱心に学べば知識が得られ、答えを写せば練習の機会を失うことがわかります。智慧を用いる商人は、誠実さの価値がわかります。信頼は、ごまかしによる利益よりも大切に守るべきものだからです。上に立つ人もまた、道理に耳を傾け、他者を公正に扱うべきです。怒っているときでさえ、話す前に立ち止まって考えることを知っていれば、それは智慧を用いて、自分の行いと他者の心の両方を守ることになるのです。

สรุป結論として、私たちは、学び、耳を傾け、物事を注意深く考えることによって、智慧を育てることに努めるべきです。何がよいかを知ったならそれを実践し、何が間違っているかを見たなら進んで改めるのです。知識をただ記憶の中にとどめておくのではなく、思い、言葉、行いを導く光とし、戒と徳とともに人生を歩んでいけるようにしましょう。これは、冒頭に主題として掲げた次の法の言葉のとおりです。

Paññā hi seṭṭhā kusalā vadanti
Nakkhattarājāriva tārakānaṃ
Sīlaṃ sirī cāpi satañca dhammo
Anvāyikā paññavato bhavanti
賢い人々は言う、智慧こそ最上であると。月が星々にまさるように。戒も栄光も善人の法も、智慧ある者に従う。

ปิดท้าย以上に述べてきたとおりの趣旨であります。

พุทธศาสนสุภาษิต แบบฝึกท่องจำ หน้าหลัก